OMOMUKI COMPASS BLOG

あなたのセカイに、趣味のミライを。色んな趣味の世界を綴るブログです。

【おもむき本棚】ガルシアへの書簡全文と現代人へのメッセージ

こんにちは。OMOMUKI COMPASSの仁JINです。

今回はエルバード・ハバードという教育家が100年以上前に綴った米国のベストセラーエッセイ「ガルシアへの書簡」を紹介します。読書をして知った有名なエッセイなのですが、私仁JINも襟を正す気持ちになったので、全文をブログに書き出しました。(正直に言うと、半分くらいで挫折して各所からコピペしました。)

100年以上前の戦時下に執筆された文章が現代社会に生きる上で必要なマインドを伝えてくれていますので、少々長いかもしれませんがお付き合いください。

 

f:id:OMOMUKI-COMPASS:20220207162209p:plain

 

 

ガルシアへの書簡(全文)

ガルシアへの書簡

 

キューバがらみでいえば、私の記憶の地平線に、近日点の火星のように輝くひとりの人物がいる。米西戦争が勃発したとき、反乱軍の指導者と直に連絡をとる必要が生じた。ガルシアはキューバのどこかの山塞(さんさい)にいる。どこであるかは誰も知らない。郵便や電報が届くはずもなかった。
 大統領は彼の協力を得なければならない。早急に。
 どうすればいいのか!
 ある人が大統領に言った。「ガルシアを見つけられる人がいるとしたら、それはローワンという男でしょう」


 ローワンが呼ばれ、ガルシアへの書簡が託された。「ローワンという名の男」がどのようにしてその手紙を受け取り、油紙の袋に入れて密封し、心臓の上にくくりつけ、四日後に夜陰に乗じて小さなボートでキューバの海岸に上陸し、ジャングルに消え、敵国を徒歩で縦断し、ガルシアに書簡を届け、三週間後にこの島国のもう一端の海岸に現れたかを、ここで詳しく話すつもりはない。私が強調したいのは、マッキンレー大統領がローワンにガルシアへの書簡を託したとき、ローワンはその書簡を受け取って、「彼はどこにいるのですか?」と尋ねなかったことである。


 この人こそ、その姿を不滅の青銅で象(かたど)り、その像を全国の大学に設置すべき人物だろう。若者に必要なのは机上の学問でも、それこれの指示でもなく、背骨を真直(まっす)ぐにのばしてやることである。そうすれば信頼に応え、迅速に行動し、精力を集中して、任務を遂行するだろう。ガルシアに書簡を届けるだろう。


 ガルシア将軍はすでに世を去ったが、ガルシアはほかにもいる。多くの人手を必要とする大事業を遂行しようとしたことのある人なら、きっと平均的な人間の無能さに愕然とした経験があるだろう。ひとつのことに集中して、それを遂行する能力、あるいは意欲がない。


 ずさんな手助け、愚かな不注意、なげやりな無関心、それにうわの空の仕事がお定まりらしい。騙したり、すかしたり、脅したりして、他人の手助けを強要するか、金で買うかしないかぎり、あるいは恵み深い神が奇跡を行なって、光の天使を手助けに送ってくだされないかぎり、誰も成功は望めない。


 読者諸氏よ、試してごらんなさい。あなたはいまオフィスにいて、六人の部下が近くにいる。そのなかの誰かひとりを呼んで、頼む。「百科事典で調べて、コレッジョの生涯について簡単なメモを書いてくれないか」


 その部下は静かに「はい」と答えて、仕事にとりかかるだろうか? 決してそうはしないだろう。きっと怪訝(けげん)な顔をして、つぎのような質問をひとつか二つするだろう。

 どんな人ですか?
 どの百科事典でしょう?
 ビスマルクのことではありませんか?
 チャーリーにさせてもいいんじゃありませんか?
 過去の人ですか?
 お急ぎですか?
 その本を持ってきますから、ご自分でお調べになりませんか?
 なんでお知りになりたいのです?

 あなたがその質問に答えて、その情報の求め方や、あなたがそれを求める理由を説明したあと、その部下は十中八、九、ほかの部下のところへ言って、ガルシアを見つける手伝いをさせるだろう。それからあなたのところへ戻ってきて、そんな人物はいない、と言うだろう。もちろん私はこの賭けには負けるかもしれないが、平均の法則に従えば、負けないはずである。


 もしあなたが賢明なら、「補佐役」にコレッジョの見出しはKではなく、Cであると、わざわざ説明したりしないで、優しい笑顔を見せて「もういい」と言い、自分で調べるだろう。この自主的に行動する能力の欠如、精神的な愚鈍さ、意志の軟弱さ、進んで快く引き受けようとしない態度のために、本物の社会主義者がなかなか現れないのである。自分のためにさえ行動しようとしない人たちが、全員の利益のために、どれほどの努力をするだろうか?


 節だらけの棍棒(こんぼう)を手にした副社長もひとりは必要だろう。土曜日の夜に「首」になるのが怖いばかりに、おとなしくしている労働者が多いからである。タイピストの求人広告を出せば、応募者十人のうち九人までが、ろくに綴(つづ)りを知らないし、句読点も打てない。しかも、そういうことを知らなくてもいいと思っている。

 そんな人がガルシアへの手紙を書けるだろうか?
「あの出納係ですが」と、ある大きな工場で監督が言った。
「彼がどうかしたかね?」
「会計係としては有能ですが、街へ使いにやると、いつもというわけではありませんが、途中で四軒の飲み屋に寄り、目抜き通りにたどりついたときには、何の用で来たのか忘れていることがちょいちょいです」
 こんな人にガルシアへの書簡を託せるだろうか?

 私たちは近ごろ、「虐げられ、搾取されている労働者」や「まともな職を求めてさまよう、よるべのない人びと」に対する感傷的な同情を耳にする。それにはたいてい、経営者に対する厳しい言葉がつきものである。


 だらしのない役立たずの連中に気の利いた仕事をさせようと、むなしく奮闘して年齢不相応に老け込む雇い主。彼が背を向ければさぼることしかない「手助け」を得るために、長年、忍耐強く努力を重ねている雇い主。こうした雇い主たちに対しては言うべき言葉もない。どの店でも工場でも、除草は常に行われている。雇い主は、事業の繁栄に役立つ能力のない「手助け」を絶えず解雇して、代わりを採用しているのである。


 どんなに景気がよくても、この取捨選択は続く。ただ、不況で職が少なくなると、その選択が厳しくなって、無能で役に立たない人は、職を追われて、そのままになってしまう。適者生存の原理である。どの雇い主も自分の利益のために、最も優れた人材、ガルシアへ書簡を届けられる人たちを残そうとするからである。


 私の知っているある人は、非常に優れた資質をそなえているが、自分で事業を経営する能力はない。さらにまた、他人には全く役に立たない。雇い主が自分に不当な圧力を加えている、あるいは加えようとしている、という異常な猜疑心(さいぎしん)を常に抱いているからである。彼は命令を下すことができず、受ける気にもならない。ガルシアへの書簡を託されたら、その返事

は恐らく、「自分で届けろ!」だろう。

 この男は今夜も職を捜しながら街を歩いている。風がそのすり切れたコートを通してひゅうひゅうと鳴っている。彼を知っている人は雇おうとはしない。常に人びとの不満を煽るからである。彼には道理が通じない。彼に印象を与えるためには、底の厚い九号のブーツの爪先で一蹴(いっしゅう)するしかないだろう。


 これほど異常な性格の持ち主は、憐れむべきだろう。しかし我々は、大事業の経営に努め、終業ベルが鳴っても仕事の終わらない人たちにも、一滴ぐらい憐れみの涙をこぼそうではないか。なげやりで冷淡な連中、だらしのない無能な連中、そして恩知らずの連中を統率する苦労で、早々と白髪になる人たちのためにも。彼らの事業がなければ、この連中はみな、饑(う)えて、住む家もないだろう。


 私は言葉が過ぎただろうか? そうかもしれない。この人たちは、勝ち目の乏しい戦いに挑んで、人びとの努力を促し、勝利を収めながら、何も得るところがないのである。住むところと、着るものしかない。私は弁当持ち出しで出社し、日々の給料分の仕事をしてきた。同時に、人も雇っているので、両方について言えることがある。貧困そのものには、何の利点もない。襤褸(ぼろ)は褒めるべきものではない。そしてすべての貧しい人たちが高潔とは限らぬように、すべての雇い主が強欲で高圧的であるとは限らない。


 私が心を惹(ひ)かれるのは、「上司」がいるときにはもちろん、いないときにも勤めを果たす人である。そして、ガルシアへの手紙を渡されたら、黙ってその信書を受け取り、愚かな質問をせず、すぐさま下水に捨てたり、そのほか、届けないで処分したりする気を起こさない人は、決して「一時解雇」を受けないし、賃金の値上げを求めてストをする必要もない。文明はそのような人びとを捜し求める長い過程である。


 そのような人の願いは何でも聞き入れられるだろう。そのような人はどこの都市でも、町でも、村でも、必要とされるだろう。どこの事務所でも、店でも、工場にも。世界中がそのような人びとを呼び求めている。「ガルシアへの書簡を届けられる」人物は、非常に必要とされているのである。

 

エッセイ執筆当時の時代背景

このエッセイは1899年に著者エルバート・ハバード氏によって1時間で書き上げられたと言われる物語です。1898年末、米西戦争の最中当時の米国マッキンリー大統領がスペインからの独立を目的に蜂起したキューバ反乱軍との協力関係を結ぶために、キューバ反乱軍のリーダーであるガルシアへ書簡を届けるストーリーが記されています。
翌年アメリカの雑誌にこの「ガルシアへの書簡」が掲載されると各地で評判となりました。また日露戦争の際には、前線に向かうロシア兵の多くがガルシアへの書簡を一部携えており、日本軍は捕虜のロシア兵から没収したその本の量から翻訳すべきと考え、さらにはこれを耳にした明治天皇からこの書簡を官吏全員に与えるよう勅命を下しました。
のちにこの書簡は、1913年までで約4000万部印刷されたと言われており、英語原本をはじめ日本語、ロシア語、中国、ドイツ語、フランス語など多くの言語に翻訳されています。

 

現代人に通じるメッセージ

エッセイで語られる「ガルシアへ手紙を届けられる人」とは、人間の自発性と仕事、職務への誠実さを備えている者やその価値を説いています。軍人のようになれとは言わないまでも、自発性と誠実さを持つための教訓になる物語であり、現代人に大切な精神、現代だからこそより重要視しなければいけないテーマを語ってくれていると私仁JINは思います。

経営者であろうと、従業員であろうと、専業主婦(夫)や学生であっても、日常で自発的な行動を心がけることや対人関係で誠実さを意識することは、非常に大事なマインドです。それらを怠ると職場や家族関係、学習環境も劣悪な状態になりやすいです。
誠実さのない社員や従業員に接客されたい人はいないですし、経営者やリーダーも誠実さを事欠くと、どこかでつまずく出来事に遭遇してしまいます。受け身の勉強よりも好奇心や自発心からの学習のほうが身につく度合いも変わります。「ガルシアへ手紙を届けられる人」になることは解釈の仕方次第で、誰でも実践できる教訓ではないでしょうか。

 

長くなりましたが、100年以上前の物語から現代社会で過ごす私たちにも必要な要素を学べる内容だと思いブログにしました。
また、このガルシアへの書簡を知ったきっかけは「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」という書籍です。こちらの本の内容も現代に通ずる知恵やビジネスのノウハウなどを知るのに打ってつけの著書ですので、参考になればと思います。

ーーー

 

ではこの辺で。

 

「あなたのセカイに、趣味のミライを。」